月夜見 “夏至の夕”

      *TVスペシャル、グランド・ジパング ルフィ親分シリーズより
  


 じめじめした日ばかりが続くかと思や、急に汗ばむような好天が続いて、
『もう明けたのか? 今年はそんなに降らなかったね』
 なんて早合点させられたり。そうかと思えば台風並みの風雨豪雨が続いて、夏向けの農作物に被害が出たり。その年その年によってパターンは違えど、それでも湿度温度がぐんと上がるこの時期、日本の“雨季”には違いないらしい。

 「暑っついなあ。」

 空は明るいのだが、陽は照ることのないまま、今日はもうそろそろ暮れどきとなろうという頃合いになっており。気の早い者は薄手の夏の着物をさらに尻はしょりという軽やかな恰好になって、それでも足らぬか大きくくつろげた懐ろに手うちわで風を送っている。気温はそれほど高くもないのだろうが、風の吹かないそこいらに、むんと垂れ込めたまんまで動かない湿気がどうにも鬱陶しく。着物や後れ毛が肌に貼りつくわ、かいた汗が乾くのも遅いわ、

 「こういう日はよ、皆 家で大人しくしててくれりゃあいいんだが。」
 「そうも行きやせんて。」

 鬱陶しいのは誰もが同じだってのに、辛抱できない未熟な奴が鬱憤晴らしに良からぬことをするよになるのも こんな時期。そういう世の習いを自分で言っておきながら、同んなじ汗かくんなら働け働けと、ぶつぶつとぶうたれてもいる、腕も脚も、ついでに鼻も長い青年を従えて。こちらさんも暑さに閉口してはいるらしいが、まだまだ愚痴るほどではないものか、相方の言いようへ“たはは…”と苦笑を見せる小柄な人物が通りをゆく。赤が基調の着物の裾を腰帯まではしょっての、動きやすくした ひょろり細っこい足元には紺ぱっち。首から背中へ麦ワラ帽子を提げた姿もお馴染みの、岡っ引きのルフィ親分その人で。この時代だと年齢的には青年といっても支障がない年頃なのかもしれないが、まだまだ“少年”で通るような幼い風貌も相変わらずなら、
「おお、ルフィ親分だ。」
「こないだはまた派手な大騒ぎをしたそうじゃないか。」
「そうそう。あじさい市でスリを追っかけてって、神社の賽銭箱を叩き壊したって。」
 通りすがりの町の衆が、そんな…気安く話題にしていいのかというレベルの近況を語り合う、素っ頓狂な所業も相変わらずであるらしいが、

  ―― まあ、元気が何よりだから

 気っ風がよくて天真爛漫。曲がったことが大嫌いで、ほんの小銭を掠め取ったスリを追っかけてって、由緒のありそうな賽銭箱をぶっ壊しもすりゃあ、お偉いさんが無理を通せなんて言って来ても“何でどうしてそのお人だと決まりを守んなくていいんだ?”と往来で大声で確かめるようなこともする。いや、そっちは本当に“大人の世界の融通”がまだまだよく判ってないからという説もあるのだが。
(苦笑) そうかと思や、悪党一味の大群相手に、たった一人でだって臆しもしないで立ち向かい。見事 拳一つで叩き伏せる痛快さが、このお城下でも人気を博していてのそれで。多少の脱線は笑って許していただけているというから、お天道様みたいに万人から好かれる人気者なのも、まま頷けようというもので。

 「おや、親分さん。見回りですか? ご苦労様です。」

 忙しい現代人だからという風潮ではなくの実は、江戸の昔も若い世代は夕食は外食で済ませてたそうで。夫婦ものでも共働きは珍しいことじゃあないからそれでと、様々な屋台が持て囃されていたらしく。決まった場所へ粗末な小屋を掛け、毎晩そこまで出勤して来たというものもあれば、その肩に担いだ棒の前後へと、用具材料を収めた箱から、どうかすると膳台用の一枚板や長椅子までもを、提げて担いで町へ出て、一から支度を整え店を出すものは“ぼてふり”と呼んだ。そんなぼてふりでの夜鳴きソバ屋を生業
(なりわい)にしているドルトンというおじさんが、すっかり支度を整えた店から、通りすがった岡っ引き二人へと気さくなお声を掛けてきた。
「よお。」
 外回り稼業の岡っ引きだから、実を言えばしょっちゅう世話になってもいる間柄。丁度小腹が減ってたところだと、さっそくにも かけ蕎麦おくれと寄ってく親分へ、
「晩飯にはまだ早くないっすか?」
 喰いしん坊なんだからなぁと呆れたウソップだったけれど、ぱかりと開けられた鍋から立ちのぼった、ダシの利いてそうなかけ汁の香りには太刀打ち出来ず、
「…俺も一杯もらおっかなvv」
 素直に後へと続いているところは罪がない。よくよく見れば縁が欠けてもいるが、丁寧に使われている厚手のどんぶりに、熱いところを手際良く作ってもらっての、いただきますと声を揃えて食べ始めれば、
「熱い〜〜〜。」
「けど、美味い〜〜〜vv」
 こうまで熱いのを一気に掻き込む時節じゃあないが、何もせずとも自然とだらだら滲んで来るのとはまた別の、きっぱりさらさらした汗が出るのはちょっぴり爽快。
「熱いけど美味いのは嬉し〜〜〜vv」
 こちとら、気っ風のよさや威勢のよさで売ってる十手持ち。一日中 体を動かしてもいる身なせいか、この手の汗でうんざりするということはなく。美味い美味いと次々に、喉越しのいい蕎麦を手繰って手繰って、
「お代わり、くんなっ。」
 元気よく突き出されたどんぶりへは、
「はやっ!」
 ウソップがなんて速さだと驚いたのへも苦笑を向けつつ、
「ありがとうございます。」
 ご亭の善さげな愛想が返る。秋から春先までは蕎麦うどん、おでんに燗酒、夏場は冷たい蕎麦やところてん、昼間に白玉や麦湯を売って歩くこともあるというこの店主。元は他の土地でお武家様ででもあったのか、頑丈そうなというのみならず、親父さんと呼ぶのが微妙なほどの貫禄というか威風というか、きっと折り目正しいという方向では頑固なくらい生真面目そうなんだろなというのをひしひし感じさせる、いかにも堅物そうな雰囲気のするお人。とはいえ、季節に合わせた色々な食べ物を手掛けておいでの手際は、そのどれへもすこぶる器用なもの。一膳飯屋“かざぐるま”がサンジ一人で立ち行かぬほど忙しいときなどは、随分と安い駄賃でお手伝いに駆り出されてもおいでだとかで、
『そこははっきり、相場はいただきますと言っとかなきゃダメですよ? 旦那。』
『そうそう。』
『でないと、ナミちゃんが喜ぶだけじゃあない。
 サンジさんの方までが、気もそぞろになっちまう。』
 ああ成程…と、皆がポンと手を打った即妙な言いようをしたのが誰だったかは、今もって不明だが、
(笑)

 「親父さんトコの食いもんは何でも美味いが、
  でもそろそろ、夏向きの涼しいのに入れ替わるんだろ?」

 二杯目の蕎麦も既に半分を制覇して、さすがに熱さが身の裡からも沸き出て来たか。着物の袖を肩の上までまくっての、ここへ襷まで掛けていたらば何の大捕物にかかるやらという、そんな勇ましい恰好になった親分が、あっけらかんと訊いたところが、

 「そうですねぇ。」

 にこやか穏やかに笑ったそのまんま、盛り付け用の飯台の下、何やらごそごそとしておられたが。
「こんな品書きを考えておりまして。」
 そうと言って どんどどんと音立て並べられた鉢が幾つか。やはり瀬戸物のどんぶりや茶碗ではあったけど、湯気は立たない蕎麦にうどんにが盛られてあって。おろした山芋とワサビに刻み海苔がのった涼しげなうどんや、オクラを刻んだトッピングの緑も爽やかな蕎麦、甘酢風味の汁がかかってる素麺は錦糸たまごや千切りキュウリがカラフルだし、
「ん〜、こりは、オオバの刻んだの載せても うまひとおもー。」
「あ、そうですな。大葉か、それは気がつかなんだ。」
 成程成程と手を打ったドルトンさん。冷たい献立は作りおくと食あたりになりかねませんから、井戸が間近で湯を沸かせるところに出たときにしか扱えませぬが…などなどと、冷たいのを召し上がりたいおりはそういう辺りを探して下さいと話して下さったけれど、
「ふ〜ん、そうなんだ。」
 食べるだけな方は、そんな献立、茹でるだけなんだから楽だろうなんて思うもんだが、色々と気を遣うんだなぁなどと。親身になっての言葉を交わしているのはウソップの方で。先程のコメントがどこか妙な言い回しだったことからもお察し下さい、夏の新規なお献立、片っ端からぱくぱくと、お味見していた親分さんの方はといえば。うまうま美味いと、ただ楽しげに頬張るのだけでお忙しい様子。とはいえ、こんなの今更な話。好き嫌いなんてあるんだろかというほどの“すーぱrー喰いしん坊”には違いないけれど(長音には rの巻き舌発音が今時でっすvv)
「こう見えて、親分もこのところ舌が肥えて来たからな。」
 周りに腕のいい料理人が多いもんだから、昔ほど何でもいいって訳にもいかないらしくって。
「こないだも、抜け荷の疑いのある回船問屋の張り込みしててよ。ちょいとそこらで間に合わせに買った饅頭を、こんなもん喰えるかって言って半分も食わなくてな。」
「おや、それは…。」
 確かにこの食いしん坊さんには珍しいことではなかろうか。文句を言いつつも完食するならともかく、と。それへは、ドルトンさんも目を見張って驚いたようであり、
「まあ…確かに、風味を誤魔化すためか、やたらと酒の匂いがしていた酒蒸し饅頭だったからってのもあるんだろうが。」
 親分たらお子様…。
(苦笑) こちらで二人がごしょごしょと語らい合っているうちにも、5つ6つはあったろう夏向け献立の数々、ペロリと平らげた豪傑さん、
「美味かった〜〜〜vv」
 ん・かーっと汁まで飲み干しての食べ切ると、
「とろとろのなりかけ玉子が乗ってたうどんが一番美味かったぞ?」
 ただがっついてただけじゃあありません、3番目に食べたのが一番だったと、ちゃんと比べてもいたらしいところをご披露し。なりかけ玉子? うん、茹で切れてないみたいなのが乗ってたじゃんか。あれは“温泉玉子”って言うんですよ、親分。そんな微笑ましい会話を並べていると、どうぞと出されたのがごはん茶碗くらいの大きさの椀。そこには何と、
「あ、氷じゃねぇかこれ。」
 ひんやり冷たい肌に おっと気がつき、中を覗いてみたれば…きれいな緑のお茶にうかぶは、透き通った氷のかけらが幾つか。
「え?え? なんでだ?」
 屋台の商売なのにどうしてこんなの出せるんだ?と、キョトンとしている親分の横で、
「お、もう使ってみてくれてんだ。」
 ウソップがおややと嬉しそうになったので…聡いお人ならお気づきか。
「ウソップ?」
「なに、蓄電式のモータなしでも氷が作れちまう製氷器ってのを、作ってみたんで試しに使ってもらってんですよ。」
 いつだったかサンジさんが“かざぐるま”で、美人限定でしたがクラッシュアイスを満たしたグラスにトロピカルなデコレートをしたジュースをそそいで出していたから、時代劇っぽいけど氷はあるとみました。ただ、屋外のどこででもほいと手に入るかというと、それは現代の世界でだってなかなかに難しいことだろうに、こんな小さな屋台で何で?と、親分がビックリしたのへは、メカならお任せの下っ引きさんが鼻高々になってみせる。そっちばかりが得手って訳でもないのだが、機巧
(からくり)への関心、いまだに薄れずの腕利きさん。
「理屈は判らねぇが、そっか、外でも氷が作れんのか。」
 そいつは凄げぇやと関心する親分へ。ええこの通りと、飯台の傍らに据えてあった、小さいけれど妙に厳重な小箱、ドルトンさんがぱかりと開けば。赤銅張りになった中には、無色透明の宝石みたいな氷のかけらが詰まってる。
「ですが、沸騰した水を仕込んでいても、直に食べない方が賢明ではありますな。」
「だな。解けてく端からただの水と同じになっちまう訳だし、急な温度差で体調を崩しかねねぇ。」
 広めるにあたってはどんな注意がいるかしらと、早速にも使ったお人からのご意見を収集してるウソップの傍らでは。そんなことしちゃいかんと言ってるのが聞こえぬか、あめ玉みたいにガリゴリ咬み砕いて涼しいのを堪能している誰かさん。
「美味い美味いvv」
「親分〜、俺らが今、何 話してたか聞いてましたか?」
「ああ?」
「〜〜〜。」
 まま、どんな無茶食いしても滅多にお腹壊したことがないお人だからと、それ以上は言わない事にしたところ、

 「おお、いいところに出てる店だな。」

 そんなお声が間近で立って、形ばかりののれんが下がっていたの、ひょいっとめくった人がいる。節々の骨がごつりと立ってる、大きくて重たげな手への見覚えでもあったものか、それとも…もしかすると声を聞いての反応なのかもしれないが、

 「〜〜〜っ。////////」

 まだまだ食べるぞと手にしていた氷が全部、あっと言う間に解けたんじゃあなかろうかと思えたくらいに、真っ赤になったお人が一人。天下無敵なまでの溌剌お元気、天真爛漫な親分さんを、あっと言う間に 乙女もかくやと含羞ませたは、

 「おお、お坊様ではありませぬか。」
 「よせよせ、俺みたいな“生ぐさ”を様つけて呼んじゃあいけねぇや。」

 確かに随分と擦り切れた恰好ではあるけれど、それでも墨染めの衣をまとっておいでの雲水様だってのに。自分をそうと差して かかかと笑い飛ばしたところが何とも剛毅な僧侶殿。緑色の髪を短く刈った、頑丈そうな筋骨体躯も若々しい彼こそは、ゾロという名の流れ者の托鉢僧。どこの宗派の何て経文を読むのやら、もしかせずとも姿だけ、流れ者には何かと勝手もいいからってことからの、恰好だけの坊様なのかも知れないが。ドルトンさんがまだどこか謙遜の美徳も御存知なのへ比すれば、同じ威風堂々でも自信満々な気色が色濃い“威張りんぼ”さんでもあり。そうしてそして、
「よお、こないだは世話んなったな。」
「おやおや、岡っ引きの旦那がた。」
 先に陣取っていたのが御用の向きの方々でも、怖じけたりなんざしないのはともかくとして。むしろ、

 「〜〜〜。////////」
 「親分?」

 同席したことで、あややと真っ赤になってるお人のほうが、問題大有りかもしれず。ウソップを挟んでという格好じゃあない、すぐの真隣りへどさりと座ったお坊様の気配へと。うにむに口許たわませて、嬉しいんだか恥ずかしいんだか、複雑なお顔になってるところが、傍から見ている分には可愛らしいったらなくて。強くて無邪気で、誰からも好かれる麦ワラの親分さん。その素直な気性から、親分さんの側からだって…当然のことながら大好きな人は沢山たくさんいるだろけれど。何時のころからか、誰もが認めることとなりつつあるのが、このお坊様を妙に意識しているってこと。日頃からもどこか子供のような言動が多く出る彼ではあるけれど、こうまで恥じらうのはこの坊様相手に限ってのことであり、

 “でもなあ、相手は男なんだがなぁ。”

 しかもしかもお坊様の方もまた…少なくとも憎からずと思ってくれてのことだろうが、やけに親分さんへとちょっかいをかけて来なさる。何てことない間合いで出会っての他愛ないお喋りのみならず、危険な現場へひょこりと顔を出しては、悪党退治へ手を貸してくれたり、窮地にあったりするの助け出してくれたりと思わぬ助っ人までしてくれて。お元気の塊りな親分さんは、思い切りがいいというか、危険な修羅場も何のそのと無謀な行動も少なくはないお人なだけに、このくらい頼もしい介添えがいてくれるのは大いに助かるものの。素性が不明な相手でもあり、
“いいのかねぇ?”
 ひょんなところで慎重なウソップ、今日のモードはポジティブ全開か、そんなこんなを案じてござる。そんな心持ちの傍観者がいることも意に介さぬまま、

 「親父、燗をつけてくれ。」
 「はい。」

 お酒を飲むのはかまわぬ宗派か、にんまり微笑っての注文を出し、擦り切れまくりの衣紋のあちこち、最後に懐ろをまさぐってから、あったあったと小銭を飯台の上へ置く。
「この暑いのに熱いの飲むのか?」
「ああ。冷やだといけねぇんだ。」
 いかにも子供っぽい訊きようへ、くすすと笑ったお坊様。
「俺みたいなザルだと何ぼでも飲みたくなってキリがない。涼むための喉越しだけでいいなら、ちょこっとでいい。1杯しか頼めんのだ、となれば熱燗の方になる。」
 という訳で、と。ごとり、重々しい音を立てて置かれた、いかにも熱そうな酒で満たされた湯のみを、待ち兼ねましたと視界の中へと迎え入れ。楽しみをじっくりと堪能するように口許へ持ってゆく。そこまでの会話の流れもあって、
「…。/////////」
 うあ…ぁと、ついつい視線がその口許へ、吸い寄せられてる誰かさんはともかくとして。ちょっぴり場末の町角に据えられた屋台のその周辺。先程から何人かがうろついていて、さわさわ・ごそごそ、あちこちを覗き込んでの探っていることへ。腹が膨れた余裕からだろか、それとも臆病な気性から来る用心深さからだろか。妙な気配だと気がついて、その怪しさを目線で追っていたウソップであり。

 “何だ? こいつら。”

 ちょっとした落とし物を探してるにしちゃあ、結構いい年したお兄ぃさんばかり。まま、それだけで落とし物なんかしなかろとは言い切れないけれど。だったら、
“誰もいなかったよな。”
 これからの時間帯はどうだか知らないが、昼からこっちにかけては人通りの少なかっただろう広小路。誰か通らなかったか、何か落とした様子はなかったか、どっちにしたってこの店の亭主であるドルトンさんへと訊けばいいのに、それをしないってのも怪しいったらなく。
“…おいおいおいおい、なんか集まりやがってるよ。”
 どうあっても見つからないが、じゃあそれでと戻れないものなのか、全部で5、6人の若い衆らが、寄り集まると ぼしぼしぼし…と、何やら小声で論じ合っており。それから…その視線がこっちへと飛んで来る。
“ひゃあぁ〜、こっち見てる見てやがる〜〜〜。”
 か、関わり合いにはなりたくねぇよな。だってほれ、悪党かもしれないけれど、何やったかって確証がまだないし。難癖つけられても面倒だし…と。公安関係者が何を言い出しているものか、ルフィ親分が一緒だってことまでも忘れ去っての逃げ腰思考。ざわざわと背条が凍り始めたのは、そんな物騒な連中が接近しているからだと、そっちにばかり意識を集中していた彼にしてみれば、此処からいつ逃げ出すかしか選択の余地はなかったらしいが、

 「…おい、旦那。面白いもん、置いてやがんな。」

 のれんを乱暴にめくりあげ、中には長椅子へ片足掛ける者までいる乱入振り。先にいた客たちなぞ最初から眸に入ってはないような、上から口調でそんな言いようをしたのが、彼らの大将であるらしく。月代だけにしてはやたらとおでこが広いのが、特徴的といや特徴的かも。
「丼ものにまで氷とは、なかなか豪勢じゃねぇか。」
 ルフィが平らげたその後の丼にも、解けかけの氷が幾つか居残っていたし、何より飯台の上には、不揃いな砕かれようとなった氷が詰まった小箱があって。丼を1つ1つ手に取ってみた連中は、だが、中に居残っているのが小さくなった氷と見ると、興味を無くしたかそのままぽいぽい背後や足元へと放り投げ。
「あ、何をなさいます。」
 がちゃがちゃ割れてしまう器に、表情を硬くしたドルトンさんの口調から、ガタイはあっても大人しい人性だとでも読み取ったものか、
「こんなガラクタなんざ、どうだっていいんだよ。」
 ぐんと身を乗り出したのが、大将格のデコ広で。
「なあなあ、おっさん。もしかして此処いらによ、きれーな透明の石っころが落ちてやなかったか?」
 そんな風に言い出して。
「そう、そこにある氷みたいな綺麗な石だ。知ってっかな、金剛石ってのの元石で。原石とかいうのから、ちょこっとだけ削って形を整えてあるやつでな。そりゃあとんでもない価値があるんだが。」
 つらつらと並べつつ、その手を延ばすと氷の小箱を引っつかむ。
「こんな寂れた屋台にこ〜んな大層なもんがあるなんて、いかにも不自然じゃね?」
 軽々持ち上げてしまっての、まだ残っていた丼の中へと全部を空けると、1つ1つを手に取り始める。

  「へぇえ?
   いかにも冷たい氷だが、冷たくないのが混ざってんじゃねぇの?」

  おや。

 成程、そういう疑いを持ってての言い掛かりかと、連中の探し物が判りはしたが、
「何のお話でしょうか。」
 彼にしてみりゃ心当たりがないのだろう、分厚い胸の上へと座った、こちらもがっつりと雄々しい首を傾げるドルトンさんへ、
「だからよ。俺らの世話んなってるお屋敷から、そういう大変なものが持ち出されたんだがな、その人影、ウチのもんらが此処までは追えたってんだ。」
 まだ入りたての若い娘っ子で、一人でじゃあ怖かっただろうによくもまあと、そこまでは褒めてやったが、その後がいけねぇ。
「お前さんのこの屋台がよ、あったもんだからそうそう探ることも出来やせずで。」
 それでと、誰も来ないのを確かめ確かめ、こっから目を離さぬよう後ずさりで屋敷へ戻りかけ、その途中で後から追って来た俺らと合流したって訳でな。

 「そんな訳だから、こっから誰も出てっちゃないのは確かなこと。
  だってのに何処にもねぇなら、盗っ人はあんただってことにならんか?
  しかも まだ持ち出してねぇ。」

 さぁさ、大人しく出しませいということか、それとも。この珍しい氷の中へと紛れ込ませてねぇかと言いたいか。子分たちまでが手を伸ばし、氷を1つ1つ確かめていたものの、どれもこれも冷たいばかりの本物の氷。どんどんと解けてくばかりのそれらを見切ると、もう一回 飯台の上を見回して。
「そっちの坊さんは…熱燗か。」
 だったら氷は関係なかろ。じゃあとその奥を見やって、
「んん?」
 残りのお客二人へと、丁寧に淹れてもらった冷たいお茶。まだ少しほど氷塊が残っていたのへと目がいって、これかも知れぬと伸びた手を、だが、

 「………さっきからごちゃごちゃと五月蝿ぇなぁ。」

 横から出て来た別な手が捕まえる。ああんと目許を眇めたデコ広だったものの、
「そんなに大事な宝石なんなら、いっそ奉行所へ届けりゃいいだろうが。」
 いつの間にやら…乙女モードではなくなってたらしき、我らが親分さんがそのお顔を上げておいでであり。そんな彼との視線が合って、
「あ…あ、いやあの、その…やだなあ、親分さんじゃあありませんか。」
 チンピラや地回りは、まずは岡っ引きの顔を覚えるものだとか。でないと悪さが出来ないからで、それでなくとも評判の親分さんだけに、これまでの横柄な態度があっさりと引っ込み、
「いやそんな、自分らで探しゃあ出て来そうな段階なもんで。」
「出て来そう? 呼んだら出て来るたあ、珍しい宝石らしいなぁ。」
 それなら確かに価値もあろうよなと、ぎろり見上げた表情が、いやに堅くて怒りに濡れており、

 “何ででしょうか、その迫力は…。”

 仲間なはずのウソップまでもが、ついつい“ひいぃぃっ”と背中を震わせたほどに。何でなのかは知らねども、妙にお怒りが深いご様子の親分さんであり。
「う………。」
 勿論のこと、デコ広の与太者もまた、うううっと怯みかかってしまったが、

 「う、うっせぇなっ。泥棒に入られたのはこっちだってんだよっ。」

 だからったって、やっていいことと悪いことがあるだろが、と。説教するのももどかしく、だんっと勢いつけての立ち上がった親分さん。

 「人がせっかく…せっかく、いい気分でいたのによっ。」
 「…お、親分〜。」

 それってはっきりくっきり私怨では。
(苦笑) 思わず裏拳で空を叩いてのツッコミを入れたウソップの、その語尾も消えやらぬうち、

 「ゴムゴムの〜〜〜〜〜〜、」
 「…っ!」

 どっひゃあと慌てて立ち上がり、全速力でのバック走。巻き添えを食わぬようにといち早く距離を取って逃げたのがウソップならば、
「…っ。」
 飯台の向こうでやっぱり身を屈めて待機態勢となったのがドルトンさん。
「…。」
 別段、視線を向けるでもないまま、唯一、どうとも動かなかったお坊様は、ただただ苦笑をこぼしておいでなだけであり。そんな奇妙な空間、間合いを、一気につんざいた気合い一閃。


  「バズーカ〜〜〜っっっ!!!!」
  「ぐあぁぁあああぁぁっっっっっ!!!!」


 真横からの衝撃波に瞬殺されて、あんまり鍛えてなかったからか、あっと言う間にその姿がかき消えたデコ広の兄貴分。超能力での瞬間移動でもない限り、こうまで…残像さえ残さずの吹っ飛び方は凄まじく。

 「お〜〜〜、もしかして新記録かも知れねぇぞ、親分。」

 わざとらしくもその堅そうなおでこへ小手をかざして、遠くを見やった坊様ののんきな声に、はっと我に返ったのが子分衆。それまでは兄貴の威勢の笠に乗り、にやにやへらへらしていたものが、その兄貴が一瞬で消えた威力を目の当たりにしたのだから、その驚きようは一見で。

 「ひぇえぇぇぇ〜〜〜!」
 「あ、兄貴っ、兄貴を探せっ。」
 「逃げろっ、早くっ!」

 狭苦しい屋台の軒下から、押し合いへし合いしての我先にと逃げを打つ様の見苦しさ。腰を抜かさんばかりに怯えつつ、あわわと這うように逃げてゆく連中を、だがまるきり見送りもせず。ふんっと鼻息荒く座り直した親分さんのその前へ、

 「…お疲れさん。」

 横手から伸びた大きな手が、ことりと置いたもの。手が退いて現れたのは、和紙に包まれた玉子煎餅であり、

 「わvv/////////」

 お菓子だったからか、それともそれをくれたのがお坊様だったからか。ほんの一瞬前までのお怒りの形相もどこへやら、他愛なくも笑み崩れた親分さんだったのだけれども。


  ―― 熱燗を飲み干したお坊様、
      その口から大きめの金剛石をば、ぺろりと出して懐ろへ、
      こっそり隠したのは誰の目にも留まらなかったそうであり。


 その後、お隣りの藩でご禁制の金剛石の無届け取引を行っていた咎により、最近になってめきめきと頭角を現していたとある回船問屋がお役所からの手入れを受け、主人や番頭、荷役担当の使用人らのほとんどがお縄を受けたそうだが。

 「ふ〜ん、そんな大きな事件があったんだなぁ。」
 「ウチの藩じゃあ水際でのお調べが厳しいから あり得ねぇよなぁ。」

 同心の若いのが、役所の間で交わされているものらしい情報読本片手にそんなお話を語らい合っており、

 「おやっさん、冷やで一杯。」
 「あ、俺も。」

 これで上がりか、ほっとしたよなお顔がのれんを跳ね上げ覗いたのへと、はいなと笑い返した大柄なご亭の苦笑。一体何へと向けられたものだったのやら…。





  〜Fine〜  08.6.25.


  *ちょっとダラダラした描写になってしまいましたかね。
   先日、怪盗ゾロのお話を書いたあおりか、
   たまには捕物らしいお題を書いてみたくなりまして。
   でも、事件解決へは
   色々とお膳立てを考えただけ無駄だったかもですね。
   てぇ〜いっ、うるさいっっ!で収拾しちゃえるから、
   恋する乙女は やっぱ無敵だなぁvv(こらこら誰が乙女か。)


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